父の顔は、どこへ消えた

2
「もう、何もかも嫌になった」 そう言って、母はテレビのリモコンを投げつけた。 画面には、タレントたちが募金箱を手に、泣き笑いながらチャリティランを走る姿が映し出されている。 毎年この時期になると、この光景が繰り返される。 母はいつも、あのランナーたちの姿を見ると、一層沈み込んだ。 「また、あの人、走ってるわ」 母の視線は、画面の奥、遠くで手を振る男性に向けられていた。 見覚えのある顔。 いや、見覚えがありすぎる顔。 それは、私の父親だった。 父が家を出て行ったのは、私が小学校に上がる前だった。 母は女手一つで私を育てた。 養育費は、一度たりとも払われたことはない。 それでも母は、父のことを悪く言ったことは一度もなかった。 ただ、黙って、一人で、全てを抱え込んでいただけだった。 「なんで、あんなことするんだろうね」 母の声は、かすかに震えていた。 画面の中の父は、汗を拭い、満面の笑みでカメラに手を振っている。 その笑顔が、母の目にどう映っているのか、私には痛いほどわかった。 「本当は、私が働いてる会社にも、寄付を求めてきたんだからね。 〇〇(母の会社名)さん、にも、いくらかくれませんか、だって。 あの人、本当に…」 母はそこで言葉を詰まらせ、再びリモコンを手に取った。 そして、チャンネルを変える。 画面は、明るく賑やかなスタジオの風景になった。 だが、母の表情は晴れない。 むしろ、一層暗くなったように見えた。
1 / 7

怖さを変えて作り直す

新着の物語