ベタつきの境界線
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「砂糖壺の周りがベタついてしゃあない」
いつからだろうか。
キッチンカウンターの砂糖壺の周りが、いつもベタついているようになったのは。
拭いても拭いても、指先にねっとりとした感触が残る。
最初は湿気かと思った。
いや、砂糖が溶けて固まったのだろうと。
しかし、いくら拭いても、いくら乾いた布でこすっても、そのベタつきは消えなかった。
ある日、ふと気がついた。
カウンターの端にある、昔から使っている携帯ラジオ。
これも、よく触る場所ではないのに、なぜかラジオのダイヤル部分がベタついているのだ。
いや、ラジオだけではない。
壁にかかっている時計、壁紙の一部、そして、なぜか廊下の床の一部まで、妙にベタついている。
おかしい。どう考えてもおかしすぎる。
まずは、このベタつきの原因を突き止めなければ。
僕は、スマホのカメラでベタついている箇所を細かく撮影し始めた。
カウンター、ラジオ、壁、床。
どこもかしこも、視覚的には何も変わらないのに、指で触れると確かにベタつく。
ネットで「砂糖壺 ベタつき 原因」と検索しても、期待するような答えは見つからなかった。
湿気、溶けた砂糖、カビ…どれも違う気がする。
その時、ふと「オモコロ」というサイトの、ある記事が頭をよぎった。
それは、日常に潜む奇妙な現象を検証するような記事だったはずだ。
もしかしたら、僕のこのベタつきも、そういう類のものなのかもしれない。
僕は、ベタつきの写真を何枚か撮り、匿名掲示板に「砂糖壺の周りがベタついてしゃあない。原因わかる人いますか?」と投稿した。
しばらくすると、数件のレスがついた。
「それ、多分、アレですよ。」
「うちもなった。拭いても無駄。」
「触っちゃダメなやつ。」
「もう遅い。」
「触らぬ神に祟りなし。」
次第に、レスは不穏なものになっていった。
そして、あるレスに目が釘付けになった。
「砂糖壺の周りって、本当は『境界線』なんだぜ。
そこをベタつかせて、こっち側に来れないようにしてるんだ。」
境界線…?
何かの例えだろうか。
しかし、そのレスを読んだ瞬間、背筋に冷たいものが走った。
ふと、壁の時計に目をやる。
秒針が、カチ、カチ、と規則正しく進んでいる。
しかし、その秒針が、まるで糸を引くように、ほんのわずかに、ベタついた感触を伴っているように見えた。
次の日。
僕は、ベタつきがさらに広がっていることに気づいた。
今度は、玄関のドアノブ。
そして、寝室の枕。
触れるものすべてが、じわじわと、ゆっくりと、ベタつき始めている。
スマホの画面も、指でスワイプするたびに、ねっとりとした感触が残る。
僕は、もう一度、あの掲示板を覗いた。
しかし、僕の投稿は、すでに削除されていた。
そして、代わりに、新たな投稿が一つだけ、一番上に表示されていた。
「砂糖壺の周りがベタついてしゃあない。」
その投稿には、一枚の写真が添付されていた。
そこには、僕のキッチンカウンターと同じように、ベタついた砂糖壺が写っていた。
恐怖に駆られ、僕は、ベタついた指で、スマホの電源を切ろうとした。
しかし、指が画面に触れた瞬間、画面がほんのりと光り、かすかにベタついた感触が指先に残った。
そして、画面には、歪んだ文字が浮かび上がった。
「ようこそ。」
僕は、もう、どこにも逃げ場がないことを悟った。
ベタつきは、僕の周り、いや、僕自身にまで、静かに、しかし確実に、染み込んできていた。
逃げられない。
— END —
このお話、どうだった?