壁の向こうの大芝居
2
僕のアパートの壁は酷く薄い。
この賃貸物件に決めた時、内見のおばちゃんが言った「前の住人さんがね、テレビの音量、ちょっと大きめだったのよ〜」という曖昧な忠告を、当時は気にしていなかった。
だが、住み始めて三ヶ月、隣の部屋の住人――通称「Aさん」の生活音が、僕の精神を確実に摩耗させている。
Aさんは深夜、あるいは早朝に活動する。生活リズムが合わないのだろうと最初は思っていた。しかし、異変は音の質にあった。
それは単なる生活音ではない。
奇妙な、リズムを伴った摩擦音と、時折響く甲高い声のような音だ。
最近、Aさんの行動パターンが固定されてきた。
午前二時を過ぎた頃、必ず始まるのだ。
まず、低く唸るような振動音が数分。
そして、カチカチという硬いものがぶつかり合う音。
そして、決まってその直後、耳障りな甲高い声が混じる。
好奇心と不快感の狭間で、僕は壁に耳を当てていた。
昨夜もそうだ。
午前2時15分、儀式は始まった。
低い振動。
カチカチ、カチカチ。
まるで木刀か何かが素早く地面を叩いているような音だ。
そして、その声。
それは「ケヒャヒャヒャ」という、どこか芝居がかった、男の声だった。
僕は思わずスマホを取り出し、ボイスレコーダーを起動した。音を録音し、後で解析しようと思ったのだ。
録音した音声を再生する。ノイズ混じりだが、確かにあの奇妙な摩擦音と、嘲笑に近い声が記録されていた。
僕はヘッドホンでそれを聞き返し、ゾッとした。
――あれは、時代劇の録音に似ている。
僕は思い出した。Aさんはいつも、深夜に古い映画かテレビ番組を流していると言っていた気がする。だが、こんな音、最近のテレビでは聞かない。